解説

当時多かったキハ22+40の2両編成 池北線は道東十勝の池田から北見までを結んでいた路線で、JRでの廃止後は第三セクター北海道ちほく高原鉄道に引き継がれ、最終的には2006年4月20日まで運行されていました。

JR/国鉄時代は北海道赤字長大4路線の1つとして廃止を宣告され、他線同様廃止が検討されましたが、途中、陸別と置戸のサミット越え部分の冬季道路確保の問題や、北見~訓子府でのそれなりの需要もあったことから土壇場で第三セクター化が決定。晴れて存続となりました。

この池北線も他のローカル線同様、キハ22やキハ40が主力ディーゼルカーで、基本単行運転、朝夕ラッシュ時は2~4両で運行されていました。陸別~置戸は人家もほとんどなく、通しで運転される列車は極端に少なく設定されていました。

かつては線内を急行も運転されていましたが、晩年は優等列車はなく、単なるローカル線となっていました。

途中にあった駅舎は木造の渋いつくりの北海道らしいのが残っていましたが、第三セクター化時に手を入れられたところが多く、JR/国鉄時代とは少し雰囲気が変わってしまっていました。 廃止前には「思いでお~い」ヘッドマークが付けられてました。天北線や標津線廃止時も同じようなものがついてましたね。

細かな沿線風景についてはまた別途、北海道ちほく鉄道編で紹介したいと思います。


思い出

足寄駅を発車した北見行き列車 ここへは第三セクターで残るからということであまり突っ込んで訪れていませんでした。車窓は田畑と白樺林の中を進む少々退屈な風景で、見どころがあまりありませんでした。

途中下車もあまり積極的にせず、足寄では松山千春の実家を見に行って、銭湯で一服・・・あとなんかあったかなあ・・・愛冠駅で列車待ちが暇で友人と長い夜ぅ~を熱唱してたっけ?

そうそう、旅行中のエネルギー補給場所として本別は何かと活用してました。当時コンビニがなく、駅前にあったこがねちゃん弁当は重宝しました。駅前すぐにほかほか弁当があるところって、あまりなかったので、安いのり弁当大盛りをゲットできたここは大事なところでした。同様に大楽毛駅もそんな使い方してたなあ。

とにかく学生時代は金がなかったので、食パン1斤買って腹に入れて水で膨らませたり、ついでにパン屋でミミをタダでもらって食いつつ、節約できたらこうした弁当屋で高カロリーのものを食うという、すごいことをやってました(とてもひもじかった~)。

社会人になってお金をちゃんと得れるようになってからは車を使っての撮影や旅行ができるようになりましたが、このころはほんとなけなしの金をやりくりして旅行していたので、写真1枚1枚も重たいです。でも、経年でネガが変色しだして・・ちょっと腹立ちますね~、20年以上経つと急に劣化してきました。安い現像所で処理してたからかもしれませんね。

PHOTO GALLERY

■足寄

・三セク前は渋い木造駅舎だったのですが、某元国会議員の声からなのでしょうか、三セク後はかなり立派な複合施設になりました。

    -1987.9.2

・典型的な北海道国鉄仕様という駅。確かまだタブレット交換もやってたと思います。

     -1987.9.2




■西一線~塩幌

・この辺りは人家もなく、西一線駅も塩幌駅もかつては仮乗降場扱いでした。

   -1988.8.28

■塩幌

・2両分のホームだけの駅。かなりよたってますね。

     -1988.8.28

・この駅を日常的に使っていた人はいたのでしょうか。謎ですね。とっくに絶滅したキハ24もこの頃は現役バリバリでした。

    -1988.8.28




■塩幌~上利別

・丘陵地を進む区間ですが、特に人家も牧場もない、閑散区間でした。

   -1988.8.28

■上利別

・交換駅だった上利別。三セク後も木造駅舎が残りましたね。渋い時刻表も味がありました。

     -1988.8.28

・周りには木工所がありましたね。かつてはここから薪などを出荷していたのでしょうか。

   -1988.8.28


・腕木式信号があって、タブレット交換があってと一昔の駅そのものでした。

         -1988.8.28




■笹森~大誉地

・撮影ポイントの1つ。新緑と紅葉のシーズンがいいらしいのですが、廃止前とあってあわてて撮影に行った記憶があります。

          -1989.3.21

■大誉地

・小さな集落はあったもののかなりさみしい駅でした。

   -1989.3.21

・春とはいえまだまだ雪が降ったりやんだりでした。

    -1989.3.21




■陸別

・留置線があるなどやや大きな構内を持っていました。三セク後は駅舎も建て替えられてかなり雰囲気が変わりましたね。

   -1989.3.21

■西訓子府~西富

・置戸からは北見市街の延長という感じで、並行する道路の車もぐっと増えます。北見~置戸の区間運転も結構ありました。

   -1989.3.21

■西富

・もともと仮乗降場の駅。ここから跨線橋まで歩いて撮影しようと考えてましたが疲れて駅撮りしかしてなかったんですね。

    -1989.3.21

■西富~訓子府

・後ろの跨線橋から西富駅方向に撮影するのがよく雑誌などで紹介されてました。

    -1989.3.21

■訓子府

・訓子府はまあまあの大きさの町で、北見~訓子府だけでも最後残さないかという話がありました。

   -1989.3.21

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