解説

赤谷線は、現在の羽越本線新発田駅から赤谷までに至る、 全長18.9kmの路線でした。元々は鉱山鉄道としての出発でしたが、廃坑後は旅客線として利用されてました。

起点の駅新発田を出ると田んぼが広がる、新潟らしい風景の中を列車が進んでいきます。 最初の停車駅は時刻表に載っていなかった「東中学校前」という乗降場、北海道にはたくさんありましたが本州では珍しいものでした。 続いて沿線で一番の集落の五十公野に到着、この駅は有人駅で多少の乗降もあったと思います。

米倉を出たあたりから山が迫ってきます。新山内あたりからは加治川沿いの渓谷を横目に谷あいを登っていきます。 小さな集落が見えてきたら赤谷に到着。この駅から先、終点まで気動車のエンジンはうなりっぱなしになります。

川を眼下に勾配を登りつめ、エンジンがニュートラルになったら東赤谷、この駅はスイッチバック形式になっていて、進行方向と逆にバックして駅到着となります。 東赤谷の駅前は何もない寂れたところで、廃屋があちこちにある少々不気味なところでした。

赤谷線は旅客が少ない割に1日6往復の列車設定がありました。ただ、各ローカル線と同じくして朝と夕だけの列車設定で、デイタイムは土曜日に1往復だけ走るという内容でした。 こんなダイヤ設定なので旅客は学生がほとんどで、東赤谷に限っては旅客扱いはかなり少なかったと思います。

この地域は豪雪地帯で、特に旅客の少なかった山間部は冬季の除雪にはかなり費用がかかっていました。そんなことから廃止検討は早急に行われ、特に目立った反対運動もなくバス転換されてしまいました。


PHOTO GALLERY

■新発田

・最終日間近ということで特別サボの取り付けが行われました。

      -1984.3.26



■東中学校前

・本州ではめずらしかった仮乗降場。仮とはいえ、北海道のように棚があるようなものではなく、ちゃんと待合室も併設していました。

   -1984.3.26



■五十公野

・最後まで有人駅だった難読駅いじみの。

   -1984.3.26



■赤谷

・それなりの木造駅舎がある駅でした。3月末とはいえすごい雪に埋もれていました。

   -1984.3.26



■東赤谷

・昔の鉱山設備が廃墟として残っていました。最終日間近ということで乗客は乗り鉄がほとんどでした。

    -1984.3.26



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